〜2015・4・25 大震災から4年〜

1. ランタン村は一瞬にして消えてしまった・・

写真1 2017年の慰霊祭。慰霊碑はかつて大きな仏塔が立っていたその場所に建てられた。


 その日お昼少し前、ランタン村では畑地の石囲いの補修や2頭のゾボを駆り立てて耕起したり、宿屋の厨房ではトレッカーたちの昼食作りに追われていた。村を見渡せる場所に立つ公民館(ツォーカン。ランタンプランが代替エネルギーの拠点として1995年に建設)では偉いお坊さんを迎えて、年長の女性たちを中心に法話が進行していたし、子どもたちも春休みで寄宿学校から帰省中、家族との時間を過ごしていた。

 そして、その時刻、大地が大きく揺れ、直後、真っ黒い雲のような塊が彼らの上に覆いかぶさってきたのです。氷と雪が、土砂や岩を巻き込みながら北側の岩壁の上1000メートルを滑り落ちてきて、そこにあるもの全てを呑み込んでしまった。放出されたエネルギーは風速100メートル、東京ドーム13ケ分もの土砂と雪と氷、爆風は南北に狭められた谷を旋回し、対岸のヒマラヤカラマツ数千本をなぎ倒すという凄まじさでした。

 あれから丸4年。村人たちはその日をチベット暦の「3月7日」と刻んでいます。今年は西暦の5月11日にあたります。村での合同慰霊は去年の三周年までで、これからこの日は、私たちの記憶に委ねられます。


写真2 大地震で亡くなった人たちの墓碑銘


写真3 拡大部分 墓碑の最後の数字は175。

写真3 拡大部分。墓碑の最後の数字は175。175名の尊い命が犠牲になりました。写真4 墓碑銘には犠牲になった外国人トレッカーの名前も刻まれています


2. キャンチェン・ゴンバ再建一周年

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 早いもので、キャンチェン台地のシンボルであった山寺。キャンチェン・ゴンバ(寺)を再建してから1年になります。奇しくも、導師チューキニマ・リンポチェが選ばれた落慶法要の日とが重なり、私たちにとっても犠牲者たちへの供養ができたと思います。
 写真は、このキャンチェン・ゴンバの内装と壁面の仏の世界を描いたドルジェ・カルマロン師から送られてきたものです。カルマロン師がキャンチェンに滞在されたのは短い間でしたが、印象深いところだった、とそのイメージの中のキャンチェンの風景を描いてくださいました。大きく描かれた山寺。キャンチェン周辺の雰囲気がよく出ていますね。
 キャンチェン・ゴンバ落慶法要の模様は以下(Newsletter No. 5)で。日本の山岳主要6団体と友人知人から寄せられた寄金を投入して、ほぼ以前にあったものと同じものを再現することができました。

写真6

写真7

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3.新しいカップルの出発

ニマとツォ・ペーマ

 バブの遺児ニマから結婚式の招待状が届きました。挙式は5月13日月曜日。以前にも報告しましたが、ニマは両親、花嫁になるツォ・ペーマは父を大なだれで亡くしました。リクチーの姉妹たる私にとっては震災後初めての身内の慶事。心からお祝いしたい。二人の近影と二人がこれから経営する事になるコッフィー店の写真もここに残します。場所は旧集落の入り口、ピッティリー、両親が震災前に宿屋を営んでいたところではないかと思います。お店にはゴタルーたちが作ったチーズも販売しています。どうぞ、立ち寄って、新カップルを励ましてください。

二人がこれから経営する事になるコッフィー店このモノクロ写真は37年前のもの。ようやく立っちしたキパ、ツォ・ペーマの母方のおばさんに当たります。
二人がこれから経営する事になるコッフィー店このモノクロ写真は37年前のもの。ようやく立っちしたキパ、ツォ・ペーマの母方のおばさんに当たります。

4. ランタン酪農組合

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 ランタンからの情報によれば、今年は例年になく雪が多いようですが、家畜群は暦通りあと1ヶ月、6月初旬頃には村周辺からキャンチェン周辺に上昇移動。いよいよ夏のシーズンが始まります。甥のニマの結婚式が終わればセンノルブ組合長と今年の事業計画について話し合う予定です。放牧ルートや放牧グループの変動、乳製品の製造量と種類などです。

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センノルブ組合長とグリ君

 酪農組合長の話では、昨秋までに作ったチーズはこの春のトレッカーのシーズンまでに売れるだろうとのことです。トレッカーのみならず、村人たちも料理に使っているようなので、需要は十分にあるものと希望を持っています。

 本格的な移動牧畜が始まるまでに、彼ら牧畜専従者たちの拠点ランタン酪農組合センターハウスを完成させなければなりません。ランタンプランとして可能な限り協力を継続したいと願っています。みなさまへ引き続きのご支援をお願いしたいと思います。

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