はじめに

デルフィニウム


 8月末にランタン酪農組合のセンノルブ組合長とボイス・メッセージで30分くらい話し合いました。1分間刻みの応酬ながら、モバイルフォンやヴィデオチャットと違って声の記録が残るので、最近は現地との連絡はこれにしています。趣旨は、一つには前号で不明のまま記述してしまった部分の確認をすること。8月に入ってからの現状報告を受けることでした。結論を言えば、前号で示したゴタルー会議の今年度の計画は大幅に変更されており、来年以降の牧畜あるいは酪農組合がどのような方向へ進むのか、危惧される内容でした。酪農家としての自立運営どころか、組合長や私たちが描く牧畜が存続できるのか?少し牧畜のこれまでをふりかえり、現状を考えます。

1. 牧畜の今

祭りの人々 リルン氷河右岸のタルナにて 撮影・2017

 村の伝統的な生業である農業と牧畜は、移動牧畜のルールと農事と祭事に合わせて営まれてきました。

 現在、牧畜専従者たちはランタン谷の放牧地最高地点にいます。ネーカン、ツァンボ、ランシッサ、それぞれ4500から5000メートル近く、植生の限界ぎりぎりあたり。チベット暦7月15日=西暦9月13日、満月の祭事があり、その日に合わせて一斉に下降移動に入ります。

 一方村では、ソバ、オオムギ、バレイショの収穫が始まっていて、農地の収穫作業があらかた終了すると、村長が「チェー・ンガ・ソー!」と草刈り解禁の声をあげ、村周辺の入会地や畑地での草刈りが一斉に行われます。草は冬の家畜の飼料にし、オオムギやソバの茎は家畜小屋に敷いて来春の肥料にします。この作業が済むと、家畜群はようやく村周辺におりてくることができます。これは村独自のルールです。

 このルールは震災後、一変しました。失われた農地や放牧地は戻りませんが、村人は家があった場所に戻り、家畜も少しずつ頭数を増やし、放置された農地も年々耕作面積を回復し、ルールも修正を試みつつ来ました。農地の半分以上が回復した今年、伝統は概ね復活しつつあるとみています.


2. 夏の放牧ルートの変遷

 震災後4年、夏の放牧グループの編成とコースに少し変化がありました。コースはキャンチェン・ゴンバでの6月4日祭=西暦8月4日を起点として次のグループに分かれています:

  1. 1垂直移動のヤラGは長距離水平移動のランシッサ方面へ2018年、ゴンバ・リンジン、プバ・ラクパ、セダル、チョーキはツェルべチェGから離れ、元のヤラへのコース。今年はパルコーを含めこのルートを選択。
  2. 対岸のヌブリGはゴタルーが2名減りましたが、例年通り。(4軒)
  3. リルン氷河の両岸を利用するツェルべチェG。(3軒)

図1:2019年夏の放牧地

図2:2016年夏の放牧地

図3:2015年以前の夏の放牧地

 この3グループの位置をランタン谷東部分の地図に示してみました(図1)*。黒い部分は雪と氷、その先端から細長くのびるのが氷河。比較のため、震災の翌年2016年のもの(図2)と震災以前のもの(図3)を掲げます。
*元になる地図は80年代に作成したもの。その後地震などの影響でかなり地形 的な変化があったと思われます。

 2015年年以前の6グループが震災後に2グループに減り、2019年には3グループに回復していますが、グループの構成員に大きな変化がありました。家畜を譲り受けて新たに参入したもの、亡くなった弟に代わって参入したもの。また、ランタン・コラ右岸の垂直移動していた3グループ(ラブラン、ヤラ、ルンバ)は、上に挙げたようにヤラGとして一つになり、垂直移動ではなく、長距離移動を選択しています。

 なお前号にガドランの牛飼いたちがランタン谷を利用していると記述しました。間違いだったようです。訂正してお詫びします。

 以前どこかで触れたと思いますが、この移動牧畜のグループそれぞれは財産を共有し合える者たちで構成されており、各高度帯に構成員それぞれが持つ放牧小屋(石室)は固定されたものでした。震災後はその基盤が根元から崩れ、再編と再建を毎年手探りで進めてきたと思います。ランタンプランが差し伸べた「ゾモファンド」はそのための大きなモチベーションになったと言って良いのではないでしょうか。

 当然のことながら、毎年草の生育状況などをみながらルートを決めているので、来年のシーズンはまた別のルートを選択する可能性があります。試行錯誤を重ねながら、伝統的な牧畜の形態を維持してほしいと願っています。それはまた、文化の一端としての祭事と農業を活かすことでもあると考えるからです。


3.「来年のことはわかりません」〜組合長の話から

ランタン谷・夏の草花

 伝統と経済性という「観光開発と環境保全」とは違った問題が(私たちの前に)横たわっています。シャルパたちは、ヒマラヤという稀有な自然の造形が観光資源になりうると最初に気づいた人たちでした。徐々に経済基盤を観光業へとシフトしました。1980年代半ばにソル=クンブ周辺を旅した時には、ひと山越えると物価が倍になる程、隣接の共同体との間に経済格差が認められました。一方で農地の観光施設への転用や牧畜の衰退あるいは委託管理という現象も徐々に進行していたと思います。

 ランタン谷では大地震が引き金となって、一気に観光に頼る機運が生じ、そのまま現在に至っています。大地震の直後、ランタン復興開発委員会の委員長を務めたテンバ・ラマが、「ランタンは観光以外に生き延びる道はない」と言っていたのが、印象的でした。経済活動の中心をホテルや宿屋経営者が占める中で、牧畜ないしは酪農が将来性のある産業の一つとして生き延びることができるのか、どうか。労働に見合った収入を担保できるのか?ゴタルー一人ひとりの奮起にかかっていると思います。

 しかし、今年ゴタルーたちは、6月下旬村周辺から始まる夏のシーズンの二ヶ月半というもの、酪農製品を作りませんでした。ミルクはキャンチェンチーズ工場へ供給していたのです。

 理由の一つは、ミルクの価格にありました。スイスの肝いりで再出発したランタンチーズ工場が、昨年酪農組合が支払ったと同じく、ミルク1ℓ に付き90ルピーで購入したこと。加えて、酪農組合は高度の高い場所や長距離を輸送するスタッフの確保など準備が万全ではなく、運営資金そのものがありませんでした。

 運営資金の不足をなんとか乗り越えて彼らの工夫に期待したのですが、絵に描いた展開はありませんでした。当然といえば当然です。センノルブ組合長とのヴォイスメッセージでのやり取りの最後に、彼はこれからの計画について、答えて言いました。

 「来年のことはわかりません。わかっているのは、ゴタルーたちはラゾー、チャダン、キンコルチェン* で村へ降りるまでの1ヶ月間、『カチョカヴァッロ』を作ります。センターハウスは今、内装の仕上げに入っています。」
*各グループの最もキャンチェンに近い放牧地

 これから観光のシーズンが到来します。ランタン谷へいらしたら真っ先にランタン酪農組合(LDC= Langtang Dairy Cooperative)を訪ねてください。どこよりも美味しいチーズが食べられると思います。(報告・貞兼/2019.9.14)

ランタン谷・雨季の草花

ランタン谷・雨季の草花

ランタン谷・夏の草花

ランタン谷・夏の草花

ランタン谷・夏の草花